「時のいたずら」松山千春(吉岡里帆)
1977年11月25日発売の3枚目シングル。
中島みゆきの楽曲の「わかれうた」とコード進行が、ほぼ同行となっている。後年、中島は自身のコンサートで「よく、似てるって言われるんだけれども、わたしゃ声を大にして言いたい。こっち(わかれうた)の方が先にできていたんだ!」と言い、「わかれうた」の途中で急に「時のいたずら」に変化させて歌っていたこともあった。
作詞・作曲:松山千春
編曲:清須邦義
デビュー曲「旅立ち」は、北海道ブロックのレコード売り上げでは首位を獲得。
デビュー当時から道内では人気の松山千春だったが全国的には無名だった。
初めて全国的にヒットした曲が「時のいたずら」である(オリコン最高位29位 約14万枚)。
1977年10月5日。
竹田健二ディレクターが生前、最後に決めてくれたラジオの仕事、『オールナイトニッポン』の2部が始まり、千春はひとりで札幌と東京を飛行機で往復し始めたころのヒット曲。
竹田とは千春にとってはデビューのきっかけを与えてくれた恩師。
しかし1977年8月、函館でのコンサートを目前にして竹田は急性心不全のために36歳で急逝。
それだけに千春にとって印象の強い歌だという。
インタビューや1984年秋に放送のFM東京 『TDKトップオブジャパン 大空と大地の中で』などで以下のように語っている。
「季節の中で」よりも、「時のいたずら」のほうがずっと印象に残っている。 俺は「季節の中で」の伏線は「時のいたずら」じゃないかと思っている。
「時のいたずら」でちょっと反応があったわけ。
それで、ようし、って感じで、次で決めてやっからな、みたいな流れで「季節の中で」が出てきたわけよ。
飛行機を待つ空港で、ひとりで待っていると、竹田さんはいないんだな。 これからひとりでやっていかなくちゃいけないと思った。
「時のいたずら」ができた頃っていうのは、竹田さんが亡くなって自分ひとりになったわけじゃない。 そのとき、オールナイトニッポンの二部をやろうということになって東京にいったわけ。
ニッポン放送から晴海のホテル浦島(2003年閉鎖・現在の晴海センタービルの場所)へ帰ってきて、部屋から外をのぞいたら、すごく風が強く、自然と寂しくなってきたわけ。
竹田さんがいなくなっちゃうし、俺がなんでひとりで東京へ来て、こんな夜中にこうやっていなきゃいけないんだろう、みたいなことを考えて、頭がこんがらがってできた歌なわけ。 そういう意味ですごく印象に残っている、あの歌は。
2018年8月26日の「松山千春 ON THE RADIO」で千春Ӕ