2024 0325 Daily vocal exercises program ~Joseph Schmidt Collection1~Part2
2024 0325 Daily vocal exercises program ~Joseph Schmidt Collection1~Part2
09_Ach alles sinkt hinab (Le Cid, Massenet)
10_O Lola, rosengleich blüh’n deine Wangen (Cavalleria rusticana...
11_Una furtiva lagrima (L’Elisir D’Amore, Donizetti)
12_1l trovatore (Sung in German): Einsam stehtich und verlassen
13_Rachael, quand du Seigneur La Juive Halèvy
14_Mattinata
15_ Vogliatemi bene (Madame Butterfly, Puccini)
16_L’ariatella
ヨーゼフ・シュミット(ドイツ語: Joseph Schmidt, 1904年3月4日 - 1942年11月16日)は、ユダヤ人のテノール歌手・映画俳優。タウバー、ヤーライ、キープラと共に戦前のドイツ語圏に於けるオペレッタと音楽映画の黄金時代を飾ったスターテノールの一人だった。
来歴
歌手としてのキャリア
1904年3月4日、ドイツから移民した小作人夫婦ヴォルフとザラの間に5人兄弟の3番目の子である長男としてオーストリア=ハンガリー帝国領ブコヴィナ・ダヴィデンデ(Davidende, 現ウクライナ、ダヴィデニ Давидени)に生まれた。
家族は敬虔なハシディズムで、ヨーゼフはシナゴーグで少年合唱団に参加し、その当時から頭角を表し、ソプラノ歌手フェリシティ・レルヒェンフェルトの下に声楽を学び、1925年からはワイセンボーンの発明者であり、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの師であるヘルマン・ヴァイセンボルンに師事した。この間にも、ヨーゼフはユダヤ人社会のコネクションを通じてオランダ・ベルギー等でもキャリアを研鑽し、ソロ活動やシナゴーグに於ける演奏活動を展開した。活躍の転機となったのはラジオ放送であり、1929年4月18日、マイアベーアの『アフリカの女』全曲の収録放送によるデビューだった。
その評判は名テノール歌手のエンリコ・カルーソーとも比され、「ラジオのカルーソー」[1]の異名を取った。『イドメネオ』、『魔笛』でのブルーノ・ワルターと競演を初めとしてジョージ・セル、ヘルマン・シェルヘン等とも競演、1933年にナチスがドイツ帝国放送協会を国営化し、独占するまで20余りの全曲放送に出演した。しかし、極端に低いその身長[注 1]によるハンディキャップからドイツでは舞台に出演することはほとんどなく、1929年8月31日、ベルリン国立大劇場におけるラルフ・ベナツキー作『三銃士(オペレッタ)』の初演への出演記録が残されているに過ぎない。ナチスによるユダヤ系芸術家の強制排除によって、ドイツに於けるラジオ出演は1933年2月20日のペーター・コルネリウス作『バグダッドの理髪師』が最後となった。
同じユダヤ系の歌手であり作曲家でもあったリヒャルト・タウバーは、自作のオペレッタ『謳う夢』(原題:Der singende Traum)の主題歌『君は僕のすべて』を“Du bist die Welt für mich“をヨーゼフに捧げている。